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松元佑仁が予防にこだわる本当の理由

奈良市富雄にある、自律神経のケアが得意な整体院「五行(ごぎょう)鍼灸マッサージ治療院」

代表の松元 佑仁(ゆうじ)です。

 

当院の治療には、あるこだわりがあります。

それは「今ある痛みや病気だけでなく、これからの痛みや病気を防ぐこと」

 

もちろん、今ある痛みを和らげたり、取り除くのも当院の大切な仕事です。

 

でも僕は、あなたが今後の人生で味わうであろう痛みや病気の苦痛をいかに出ないようにするか。

この「予防」の部分に徹底的にこだわります

 

じつは、僕が予防にこだわるにはワケがあります。

今回は、当院のこだわりが生まれるまでのストーリーをお話しさせてください。

 

目次

マッサージを始めるきっかけ

僕は1985年、奈良で4人兄弟の長男として生まれました。
うちは兄弟が交代で父親のマッサージをするという習慣がありました。

父親も子供の頃、よくおじいちゃんにあん摩をさせられていたらしく
「自分も子供ができたら、今度は自分があん摩をしてもらおう」

子供ながらにこんなことを思っていたそうです。
ほかの兄弟はマッサージにすぐ飽きて、5分ほどでやめてしまいます。

そんな中、なぜか僕だけは1時間ほど飽きずにマッサージをしていました。
そうなると当然、僕ばかりが呼ばれるようになります。

結果、マッサージの腕は自然と上がります。
父親は頭痛持ちでしたが、中学生になる頃には父親の頭痛を治せるようになっていました。

しかし、この時はマッサージ師になろうなんて思っていませんでした。
この頃の将来の夢は「動物園の飼育員」でしたからね(笑)

人生が変わった出来事

話は少し変わって、僕には2つ年下の「雄太郎」という従兄弟がいました。

おじさんの仕事の都合で関東に住んでいて、夏休みの度にあそびに来るのが恒例でした。
雄太郎も長男で兄がいないからか、年上の僕を兄のように慕ってくれました。

住んでいる場所は離れていますが、僕たちは兄弟のように育ちました。
そして雄太郎が中学生になったある日。

心臓の発作で突然亡くなってしまいました。
いつもどうり、元気に野球部の練習をしていた最中の出来事だったそうです。

お葬式で息子を送らなければならなくなった、おじさんとおばさんの顔は今でもわすれられません。
おじさん達や、棺で眠る従兄弟を僕はただ見ていることしかできませんでした。

もちろん悲しみはありました。
でも、それにも増して、ものすごく悔しかったことを覚えています。

「世の中にはわるいことをしてのうのうと生きている人がいる。
 なのになぜ、何もしていない雄太郎が死ななければいけないのか!」

そんなふうに神様を恨んでいたこともありました。
しかし、僕が本当に恨んでいたのは神様ではなく、何もできなかった無力な自分自身でした。

この出来事をきっかけに、心のどこかに


 「人の人生を変えられるような人間になりたい」

 「目の前の人を幸せにしたい」


そんな想いが芽生えるようになりました。
今思えば、治療家「松元 佑仁」はこの時に生まれたのかもしれません。

東洋医学との出会い

そんな出来事があってから月日が経ち、高校3年になりました。
そろそろ進路を決めなくてはいけません。

自分にできそうなことを考えた時、頭に浮かんだのがマッサージでした。
自己流ではない本物の技術を見てみたくなり、鍼灸とマッサージの専門学校へ行くことにしました。

その専門学校で東洋医学と出会ったのです。

はっきりとはわかりません。
でも、東洋医学には何か自分が求めているもののすべてがあるような気がしました。

そこから東洋医学にどっぷりハマります。
これは専門学校を卒業して、鍼灸師とあん摩マッサージ指圧師になった今も変わりません。

鍼灸あん摩マッサージ師になってからの苦悩

3年の月日がながれ、鍼灸師とあん摩マッサージ指圧師の資格をとり、名実ともに治療家となりました。
そこから2年ほど経験を積んだ後に独立し、開業しました。

これは今だから言えることですが、開業してからは自分の治療に納得いかない日々が6、7年続きました。
患者さんには喜んでもらえるのですが、自分では納得がいかなかったのです。

自分の「理想の治療」が出来ている手応えがなく、それを模索する毎日でした。
そもそも、「理想の治療」がなんなのか?

それがどうしたら見つかるのか、自分でもわからなかったのです。

僕には師匠と呼べる先生のような人がいません。
手がかりもなく闇雲に「理想の治療」を探し続ける日々が続きました。

そんなある日、患者さんからこんな言葉をかけてもらいました。

「先生の治療のおかげで人生が変わった。
 あなたの治療がなかったら、今頃こんなに元気ではいられなかったから」


その時に、ふと気がついたんです。
自分の治療が患者さんの人生を変えていて、そんな人生を変えるような治療ができていたんだということに。

それと同時にこうも思いました。
今の僕は、自分の無力を恨んでいた時の自分がなりたかった姿なんだと。

僕は従兄弟を亡くして以来、自分の無力さを恨んで生きてきました。
でもこの時、やっと自分のことを許せた気がしました。

僕は忘れていたんです。
心のどこかに芽生えた「人の人生を変えられる人になりたい」という想いを。

この出来事をきっかけに、やっとそのことを思い出すことができました。

そして現在

「病気で苦しむ本人や周囲の人の人生を変え、幸せにすること」
今では僕がやるべきことはこれだと確信しています。

そして、この目的を果たすためには人を病気にさせない必要がありました。
つまり「予防」です。

ここから僕は、痛みや病気を治療することから、予防することにこだわるようになりました。

僕はもう、雄太郎の人生を変えることはできません。
でも今なら、目の前にいる痛みや病気で悩む人の人生は変えることはできます。

病気を予防できれば、本人も幸せ。
そして、その周りにいる人たちも幸せ。

そうなれば僕も幸せです。
今日も僕はだれかのために、予防にこだわり続けます。

患者さんや周りの人のために。
自分のために。
そして、僕を治療家にしてくれた雄太郎のために。

長くなりましたが、当院のこだわりが生まれるまでのストーリーはこれで終わりです。

最後に天国の雄太郎へ。
僕を治療家にしてくれて、本当にありがとう。

最後まで見ていただいて、ありがとうございました。
これを見ているあなたが、明日も幸せでありますように。

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